violinist掛橋佑水[ヴァイオリニスト かけはしゆみ]のライナーノーツ

ヴォルフガング アマデウス モーツァルト

2013年12月17日

Wolfgang Amadeus MOZART

1756年1月27日誕生。今年は丁度生誕250年に当たる。

ザルツブルグ大司教の宮廷楽団副楽団長(ヴァイオリン奏者)だった父、レオポルドから、3歳より、音楽の手ほどきを受けた。
「何が何でも世界的な音楽家に・・」という大変熱心な教育により、6歳足らずより10年余りヨーロッパを旅しながら、素直なモーツァルトは色々なものを吸収し、神童と呼ばれた子供時代、青年時代を過ごした。

しかしながら、生来丈夫とも言えなかった上に、過労、貴族社会への心労、聴衆の離れ、親族の物心の憂慮もあり、貧困の中に、35年の短い生涯を閉じた。

そのような生涯の中で、安らぎを与え、愉しさも失わない曲を770余りも書き残したのは、天分もさることながら、自分の魂を曲にするという事に、生涯忠実にあり続けたからではないだろうか。
子供の頃から音楽には寝食も忘れ没頭し、死の床でも、最後の曲(レクイエム)を完成出来ない事に泣き出したという、その最後の年にも「魔笛」や「アヴェ・ヴェルム・コルプス」等の大傑作を残している。

モーツァルトの友人は、彼のことを「高い知力や想像力だけでは天才は出来上がらない。
愛情、ハート、それが天才モーツァルトの精髄だ」と書いている。

モーツァルトと父レオポルドとの間には、沢山の手紙のやり取りがあるが、母を亡くしてしまったモーツァルトを一時期引き取っていた、パリのグリム男爵が父レオポルドに当てた手紙には、

「人が良すぎて罠にかかり易く、書く事が好きで活動的でもなく、幸運に導いてくれそうな手ずるに無頓着すぎる。ここで頭角を表したければ、悪賢いくらい積極的でなければならない。聴衆の大部分は音楽に通じず、作品の真価は判断できないのだから。」

とモーツァルト(22歳)を報告している。
生涯、その才能に見合う就職先を探した親子だったが、ついに叶えられなかった。
どんな仕事でもまず安定収入の確保という父親の意見と、自分の音楽を書きたいというモーツァルトの信念から父子の確執にも発展した。

彼の膨大な作曲は、今でいう楽譜を写すという専門作業より早いスピードで完成され、修正の跡は全く無いという。
残念ながらモーツァルトの多数の貴重な直筆譜は、第2次世界大戦から、行方不明のものも多い。